天遠く、どこまでも澄み切った青空が広がる秋の日でした。
静かに書を読んでおられるご老師さまのお部屋にも、気持ちのよい秋の風が、やわらかく吹き抜けていました。

「ご老師さま、失礼いたします」

ご老師が静かに書を閉じて振り向くと、ひとりの若い雲水が恭しく頭を下げたまま、廊下のすみに座しておりました。

「おおっ、おまえさんか。なにかのう?」
「はい、ご老師さま。修行の浅い身ゆえ、私にはまだ、どうしてもわからぬことがございます。それをぜひ、ご老師さまにお訊ねしようと思いまして」
「フムフム、わからぬこと、とな。どれどれ、言ってみなされ」
「はい、ご老師さま。恥ずかしいことなのですが、私にはまだ、天国と地獄があるのかどうか、わからないのです。ご老師さま、世にいわれているように、本当に天国と地獄はあるのでしょうか」

「天国と地獄か……」と小さくつぶやきながら、ご老師さまは若い雲水のほうへと、座をただしました。

「10日ほど前じゃったかのう、みなで美味しい釜ゆでうどんをいただいたのは。おまえさんも覚えておろう」
「はい」

禅宗のお寺では、時々、釜ゆでのおうどんがふるまわれます。といっても、私たちが想像するような贅沢なものではありません。ゆでたおうどんにつけ汁だけという粗末なものです。しかしそれでも、日頃から粗食を常とする禅寺では、たいへんなご馳走になるのです。

ふうっとひとつ息を置いたのち、ご老師さまはやさしい口調で語りを続けられました。


天国、地獄という場所はないのかもしらんが、「天国」という札のかかっているところでも、「地獄」という札のかかっているところでも、我々と同じように、時折、釜ゆでのおうどんがふるまわれるそうじゃ。
どちらも、大きな大きなお鍋が用意されて、そこにおうどんが入れられる。そして、みんなにそれぞれ、つけ汁も用意される。我々と同じで、たいへんなご馳走じゃ。大きな大きなお鍋のまわりを取り囲んで、みんな「まだかまだか」とおうどんがゆであがるのを待っておる。

さあ、おうどんが美味しくゆであがった。みんな一斉に食べようとするんじゃが、二つのルールがある。ひとつは、大きな大きなお鍋より少し長い、2メートルくらいのお箸を使わなければならんこと。もうひとつは、自分の場所を動いてはならんこと。天国の札がかかっている場所も、地獄の札がかかっている場所も、この二つのルールは守らねばならんのじゃ。

地獄の札がかかった場所ではのう、おうどんがゆであがった瞬間、みんな、われ先にとお鍋に箸を突っ込む。自分だけはたくさん食べてやろうと思うんじゃろうな。ところが、お箸にひっかけたうどんを手に持っているつけ汁につけようにも、2メートルのお箸じゃ、なかなかつけ汁の入っているお椀にうどんが入らない。おうどんがツルン、ツルンと落ちて、一向に口に入れることができんのじゃ。
そうこうしていると、自分の向かい側にいるやつが、自分の落としたおうどんを箸でつまもうとしている。「アッ、これはオレのうどんだ! 横取りするな」と叫んで、長いお箸で向かい側にいるやつを突つく。向かい側にいるやつも、「おまえはさっき、オレの目の前にあるうどんを取っていったやないか」と、そいつを箸で突つく。
かと思えば、うまく箸を使い、ツルツルとうどんを手元にすべらせてつけ汁のなかに入れたやつを見付けると、「オレはひとつも食べてないのに、あいつに食べさせるか」と、つけ汁のお椀を長いお箸でたたき落とすやつも出てくる。
大きなお鍋をはさんで対角線上、「オレは食べたい」「あいつには食べさすまい」。凄まじいばかりのケンカが始まるのじゃ。やがては隣同士でも取っ組み合いのケンカが始まってしまう。
さあ、決められた食事の時間が終わってみると、鍋の周辺にはケンカの最中に踏み付けられたうどんが散乱しておるわ、鍋のなかにも相当な量のおうどんが入ったままになっておるわ。結局、誰ひとりとして、ひと口もおうどんを食べられずじまい。せっかくのご馳走なのに、空腹のまま、というわけじゃ。


天国という札のかかった場所でも、さあ、おうどんがゆであがった。しかし、われ先にとお鍋にお箸を突っ込むような人はいないんじゃ。
ひとりがお鍋にお箸を入れ、おうどんをつまむ。その人は、向かい側にいる人が手に持っている、つけ汁の入ったお椀におうどんを入れるのじゃ。そして、「どうぞお先に召し上がってください」と、向かい側の人の口におうどんを運んであげる。

「美味しゅうございました。ありがとうございます。お次はあなたがどうぞ」

お礼を言ったあと、向かい側の人は同じように長いお箸を使い、お返しにおうどんを食べさせてあげるのじゃよ。
大きなお鍋を取り囲む人たち、みんながそれぞれ対角線上にいる人におうどんを食べさせてあげる、そして自分も食べさせてもらう。「ありがとうございます」「美味しゅうございます」「私はもうお腹がいっぱいですから、どうぞあなたが」。そんな声が飛び交い、みんな和気あいあい、にこやかにおうどんを食べておるという。
やがて、食事の時間が終わる。大きなお鍋のなかは空っぽ。みんなそれぞれがお腹いっぱいになり、幸せそうな顔をしておるのじゃなあ。


そこまで話をしたあと、ご老師さまは改めて若い雲水のほうへと座をただしました。

「さあ、どうじゃろうか。天国と地獄、何が違っておるのかのう」
「……」
「二つとも条件は何ひとつとして変わっておらんのだから、天国と地獄は、どうも場所によって違うのではないみたいじゃな。環境や条件によって天国と地獄が分れておるのではなく、そこに住む人たちの何かによって、天国と地獄が決められていくのかもしらん」
「……」
「おまえさんの疑問に答えるとすれば、天国も地獄も存在しない、ということになる。存在するのではなくて、それはつくられてしまうもの。何が天国と地獄をつくるのか、そして何が天国と地獄を分かつのじゃろうかのう」
「ご老師さま、ありがとうございました」

ご老師さまは小さくうなづくと、机のほうへと向きなおり、また静かに先ほどの書を読み始めたのでした。